水鳥体操館について

水鳥体操館は体操が大好きな水鳥ファミリーで運営しています。

水鳥一夫館長より

中学の時、東京オリンピックの体操競技をテレビで見て、体操が好きになりました。 中3の時、県大会で個人総合優勝をしたので、次のメキシコオリンピックには自分が出られるという 思い込みが当時強かった。奈良県天理高校体操部に入学、あまりにも上下関係が厳しく、 結局、手首が曲がらなくなり、3年間続けたものの、体操をあきらめました。 でも、あいさつ、言葉使い、礼儀などはしっかり身につける事ができ、本当によかったと思います。 自分がオリンピックに出られなかった思いを、一人でもオリンピック選手に育てたい。 体操はおもしろいよ。頑張ってます。

 

水鳥見香先生より

私自身、体操と出会って50年以上が過ぎました。選手として、コーチとして、やがて母となり、指導者として・・・ 形は変わっても、その根底に流れる体操への想いはずっと同じです。 体操を通して、それが、得意な子も不得意な子もその楽しさを感じ、 コツコツと積み上げてゆく価値を感じ取ってほしいと思います。 共に高め合って、大きな夢を掴む道のりを心ワクワクしながら一緒に歩いてゆきたいですね。

 

水鳥体操館の方針

とにかく礼儀正しく、あいさつをしっかり。だれでも体操はできるよ。おもしろいよ。 大きな遠い目標と、近い目標をしっかり立て、計画をもって、よく考えて、何回も繰り返し、 人の倍やるつもりで、種目に取り組む。わからない事があれば、誰にでも教えてもらう態度。 ポリシーは正しい倒立、姿勢だと考えてます。

 

体操が大好き!水鳥ファミリーの紹介

オリンピック選手は一日にしてならず?水鳥流子育て

基本的には、父親に対しては絶対服従型が貫かれ、面と向かっての口答えは未だに許されていません。 ただし、年齢が進むにつれて、各自それぞれの物事に対する考え方、感じ方は異なり、 父親の考え方を全て受け入れる事が出来なくなってきます。そのような時こそ、母親の出番です。 上手に融合点を見つけるのが役目となっています。 「何事も10年」という考え方も常に心掛けていることですね。 「子供の自主性に任せる」といっても、それぞれの個性を見極めて、レールの上に乗せてみるまでは 親の役目だと考えていますし、そのレールに乗せてしまえば、子供だけの力で進んでゆくのみ・・・ みたいなのはイヤですね。一緒にチョコンと乗っかって、是非共楽しみたいですね。苦しみたいですね。 そして、充実感を、達成感を味わいたいですね。 「目標なき所に結果は出ない」がモットーです。

 
ファミリー構成
水鳥敏枝(祖母)1925.11.28生まれ
一夫(父)1949.4.17生まれ
天理高校卒
水鳥体操館 館長・水鳥大工(自営)
見香(母)1946.8.2生まれ
東洋鍼灸専門学校卒(鍼灸師・柔道整復師)
大木灸院経営・静岡県体育協会 理事・体操館 指導員(新体操)
静馬(長男)1977.8.17生まれ
日本体育大学卒
男子体操競技 指導主任・大工
生野(長女)1979.3.27生まれ
寿思(二男)1980.7.22生まれ
日本体育大学卒
徳洲会・2004 アテネオリンピック 男子団体 金メダル・2005 NHK杯 個人総合 優勝・2005 世界選手権 個人総合 2位・リオ五輪 強化本部長
繭見(三男)1982.8.12生まれ
桐朋学園大学 声楽科卒
2009年 ミュージカルの勉強に単身渡米・2012年 東宝ミュージカルアカデミー卒
一輝(四男)1984.5.29生まれ
日本体育大学卒
2002 インターハイ 個人総合 準優勝
豪敏(五男)1985.11.14生まれ
日本体育大学卒
2002 インターハイ 個人総合 優勝

心に残った思い出の大会

一夫先生より

何と言っても、高校生までマンツーマンで育てた一輝の試合が印象深いです。
小学5年で初めて西日本ジュニアを優勝
小6の全日本ジュニア、4種目優勝なので2位だった試合
中1ではじめた海外試合(ウィーン)、優勝
高二・高三の息子でインターハイ(茨城)、ワン・ツーだった。

見香先生より

2004年 アテネオリンピック二次予選、そして、最終予選。更には、もちろんアテネオリンピックです。 会場の中に座っているだけで、込み上げてくる感動は、何と表現したらいいのでしょうか。 演技が始まる前から涙があふれてきましたね。 厳粛な、誇らしい、そして、その充実感がヒシヒシと伝わって来る素晴らしい舞台でしたね。 6人のメンバーが、まさに、練習通りの力を存分に出し切った試合でした。 「練習は本番のように、本番は練習のように」の言葉通りの最高の舞台でした。 2002 夏の50回記念インターハイ。蒙敏が高2で優勝、一輝が高3で準優勝。 インターハイ史上初の兄弟揃ってのNo.1、No.2は感動でした。